ツバメ速報@ヤクルトスワローズまとめ

プロ野球球団の東京ヤクルトスワローズ5chまとめブログです

    【お知らせ】雑談用掲示板リンクとコメント通報フォームは右サイドバーに設置

    古田敦也

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    e6411aa2
    1: それでも動く名無し 2026/09/23(水) 01:18:44.87 ID:KZwhOZP10
    球界の損失やろ…

    【古田敦也「リーダーシップあります、ヤクルト黄金時代の立役者です」←監督にならない理由】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    8f33f425
    1: それでも動く名無し 2026/09/10(木) 22:54:12.57 ID:V/tK/CNs0
    意外と少ない

    【古田敦也(27)「通算本塁打数217本です」】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    e6411aa2
    1: それでも動く名無し 2026/09/06(日) 03:52:28.48 ID:pWRMxmVq0
    理解できんのやが

    【古田敦也「ヤクルト黄金時代の立役者です、打撃も一流です」←監督として成功しなかった理由】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    ge
    1: それでも動く名無し 2026/08/26(水) 07:51:52.12 ID:b8wOEOFb0
    https://news.yahoo.co.jp/articles/8a983dd88663eec889d366aaad48a812b26b94f7

    元ヤクルト古田敦也さん、いじめ受けて野球を諦めかけた中学時代「胸を張って逃げて」 #しんどい君へ


     プロ野球の東京ヤクルトスワローズで活躍した古田敦也さん(61)は中学時代、野球部の先輩からいじめを受けた経験があります。

     野球がうまく、何事にも真面目に取り組む姿が、部の先輩たちは面白くなかったようです。

     意を決して「野球をやめたい」と父親に打ち明けたところ、周囲の大人たちが勧めてくれたのは「転校」という選択肢でした。

     隣町の中学に転校し、環境を変えたことで、大好きな野球を諦めずに済みました。逃げたり、環境を変えたりする行動は、時にネガティブに捉えられることもありますが、「胸を張って逃げてほしい。『逃げるが勝ち』という場面もある」と訴えています。



    先輩からの理不尽ないじめ 耐える日々

     野球道具をそろえてくれた親に退部を言い出せず、つらかったです

     小学3年のときに野球を始め、生まれ育った兵庫県川西市の中学校でも野球部に入りました。当時の時代背景は今とは全く異なります。ツッパリ、ヤンキーの全盛期でした。「長ラン」といって、極端に丈の長い学生服を着て、幅の広いダブダブの「ボンタン」というズボンをはいている生徒がたくさんいました。

     近隣の中学校との“抗争”は絶えず、授業中に他校の生徒が教室に乗り込んでくることもリアルにありました。朝、登校すると、学校の窓ガラスが全部割られているなど、この時代はそれくらい「学校」という場所が荒れていたのです。

     所属していた野球部の先輩は、とにかく厳しかったです。「1年、鉄棒にぶら下がれ」と号令が掛かると、15人くらいが一斉に鉄棒を握ります。すると、先輩がバットで僕らを順にたたいていきます。その痛がる姿を見て、先輩たちは腹を抱えて笑っているのです。鉄棒から落ちてしまうと、今度は「グラウンド何周!」とどなられます。


     砂利の上に一列に正座をさせられ、太ももの上を歩かれるしごきもありました。激痛で身をよじる様子を、先輩たちはまた面白がるのです。

    【古田敦也「中学時代にイジメを受けていた…」】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    f9d586a5
    1: 冬月記者 ★ 2026/05/17(日) 22:02:35.67 ID:UjasJ8S59
    https://news.yahoo.co.jp/articles/e002e380427f4b8e828e1e2c5c6e56d5ad707165

    古田敦也氏が語る兼任監督の難しさ「一番は若い人を…」 専任なら違った?の質問に即答


     元ヤクルト監督の古田敦也氏(60)が17日放送のテレビ朝日の新番組「浜田雅功とアスリート幸福論」(後1・55)にゲスト出演。選手兼任監督でチームを率いた2年間を振り返った。

     若松勉監督の後を受けて2006年に兼任監督に就任し、1年目は3位。2年目は最下位に終わり、監督を退任し現役生活にもピリオドを打った。

     プロ18年で自身初の最下位。「2年契約の2年目だったし優勝争いできなかったので、自分も引退するんで」と振り返る。

     MCのダウンタウン・浜田雅功から「はなから監督でってスタートしていたら変わってた?」と質問されると「それは違ってたと思う」と即答した。

     兼任監督の難しさを聞かれると「一番は若い人を育てなきゃいけない。勝たないといけないけど、若い人も育てなきゃいけない。だから僕はできるだけ(試合に)出ないようにして新しい若いキャッチャーを入れて“失敗してもいいから頑張れ”ってアドバイスして」と振り返る。


     そして「クビになる選手も毎年10人くらいいる。基本的には編成がするんですけど、編成は編成で“僕たちが5人は決めますから監督も5人決めてください”と言われる。2軍の選手でもうそろそろかな?と思ってる人はいいんですけど、まだやりたいと思ってる人もいますからね」と試合以外のチーム編成での苦労も明かした。

     妻のフリーアナウンサー・中井美穂は番組の取材に「今考えると、兼任監督をやっていなければもっと選手として華々しく終われたのかなと思う」と話したという。

     これを聞いた古田氏は「何てこと言ってるんですか。華々しく終わってますよ、ちゃんと」と反応し、スタジオの笑いを誘っていた。

    【古田敦也氏が語る兼任監督の難しさ「一番は若手を育てないといけない」】の続きを読む

    このページのトップヘ