ヤンキースなどで活躍し、73年にヤクルトでもプレーしたジョー・ペピトーン氏が、13日に死去したとESPNなどが報じた。82歳だった。死因は明らかになっていないが、息子BJによれば心臓発作の可能性があるという。
ペピトーン氏は62年にヤンキースでデビューし、2年目から主軸として打線をけん引。63年から3年連続でオールスターに選出され、65、66、69年には一塁手のゴールドグラブ賞を獲得した。
その後アストロズ、カブスを経て73年6月にブレーブスからヤクルトに移籍。しかし離婚問題で7月に一時帰国し、8月に再来日したものの、今度は右アキレスけんを痛め9月に無断帰国。1年目は14試合の出場に終わり、翌年はキャンプに現れず3月に解雇された。
メジャー通算成績は12年で打率2割5分8厘、1315安打、219本塁打、721打点。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c5a0831d42bd4cd57c02f1bf4506846b8b56204c
ペピトーン氏は62年にヤンキースでデビューし、2年目から主軸として打線をけん引。63年から3年連続でオールスターに選出され、65、66、69年には一塁手のゴールドグラブ賞を獲得した。
その後アストロズ、カブスを経て73年6月にブレーブスからヤクルトに移籍。しかし離婚問題で7月に一時帰国し、8月に再来日したものの、今度は右アキレスけんを痛め9月に無断帰国。1年目は14試合の出場に終わり、翌年はキャンプに現れず3月に解雇された。
メジャー通算成績は12年で打率2割5分8厘、1315安打、219本塁打、721打点。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c5a0831d42bd4cd57c02f1bf4506846b8b56204c
3: 風吹けば名無し 2023/03/14(火) 13:33:19.27 ID:xCUUOYk3dPi
一応王長嶋に匹敵するくらいの年俸払ってたやつやっけ?
5: 風吹けば名無し 2023/03/14(火) 13:35:51.27 ID:TSDzpY2Q0Pi
かわりに有能なのが来たから
6: 風吹けば名無し 2023/03/14(火) 13:37:40.50 ID:lkzAfth6aPi
ジョー・ペピトーン
元ヤクルトの外野手。スワローズ(アトムズ)史に燦然と輝く助っ人。
1962年にヤンキース入団。ニューヨーカーで天性のスラッガーであったペピトーンは大きな期待を受け、実際にゴールドグラブ賞を3度獲得するなどファーストとして活躍。しかし1969年限りで解雇され、アストロズなどを渡り歩く。
1973年はブレーブスにいたが6月に来日しヤクルト入り。合流後いきなり勝ち越し打を放つなど期待を持たせるもその月末に「ペピトーン・デー」と銘打って行われたダブルヘッダーの中日戦2試合目を欠場すると早速離婚問題のために無断帰国。再来日したのは8月に入ってからだったが2週間経たないうちにアキレス腱痛で離脱、そのまま9月12日にまたまた無断帰国した。
球団の不手際で2年契約だったため翌年も在籍するはずだったペピトーン。しかし今度は来日しないどころか連絡が取れない状況に。やっと連絡が取れたと思えば料金と犬の空輸料金を要求し出したため球団は任意引退扱いで解雇、のちに本人の都合で自由契約となった。
退団後、ペピトーンはNYタイムズのインタビューで「物価が高い」「言語が通じない」「マンションのドアの高さが131cm」などと日本を盛大にディスるものの当時太平洋クラブライオンズ企画室長のマーティ・キーナートに「あんな奴はアメリカ人の面汚しだ」とキレられる。その後キーナートはタイムズ紙とメジャー全球団に反論文を送りつけるがその甲斐もあってかペピトーンはマイナーですら雇って貰えず引退した。
後にヤクルト球団は(ペピトーンのせいで)日米球界の関係悪化を懸念したドジャース会長にチャーリー・マニエルを譲り受ける。ヤクルトはマニエルの力もあって1978年に初優勝したため長期的に見ればペピトーンの獲得は正解だったのかも知れない。
NPB成績 (ヤクルト・1973) 試14 安7 本1 点2 振7 率.163 出塁率.265 OPS.498
元ヤクルトの外野手。スワローズ(アトムズ)史に燦然と輝く助っ人。
1962年にヤンキース入団。ニューヨーカーで天性のスラッガーであったペピトーンは大きな期待を受け、実際にゴールドグラブ賞を3度獲得するなどファーストとして活躍。しかし1969年限りで解雇され、アストロズなどを渡り歩く。
1973年はブレーブスにいたが6月に来日しヤクルト入り。合流後いきなり勝ち越し打を放つなど期待を持たせるもその月末に「ペピトーン・デー」と銘打って行われたダブルヘッダーの中日戦2試合目を欠場すると早速離婚問題のために無断帰国。再来日したのは8月に入ってからだったが2週間経たないうちにアキレス腱痛で離脱、そのまま9月12日にまたまた無断帰国した。
球団の不手際で2年契約だったため翌年も在籍するはずだったペピトーン。しかし今度は来日しないどころか連絡が取れない状況に。やっと連絡が取れたと思えば料金と犬の空輸料金を要求し出したため球団は任意引退扱いで解雇、のちに本人の都合で自由契約となった。
退団後、ペピトーンはNYタイムズのインタビューで「物価が高い」「言語が通じない」「マンションのドアの高さが131cm」などと日本を盛大にディスるものの当時太平洋クラブライオンズ企画室長のマーティ・キーナートに「あんな奴はアメリカ人の面汚しだ」とキレられる。その後キーナートはタイムズ紙とメジャー全球団に反論文を送りつけるがその甲斐もあってかペピトーンはマイナーですら雇って貰えず引退した。
後にヤクルト球団は(ペピトーンのせいで)日米球界の関係悪化を懸念したドジャース会長にチャーリー・マニエルを譲り受ける。ヤクルトはマニエルの力もあって1978年に初優勝したため長期的に見ればペピトーンの獲得は正解だったのかも知れない。
NPB成績 (ヤクルト・1973) 試14 安7 本1 点2 振7 率.163 出塁率.265 OPS.498
4: 風吹けば名無し 2023/03/14(火) 13:34:04.99 ID:SUOlaJPQaPi
ヤクルトの助っ人起用を成績から人格に変えた男
引用元: ・https://eagle.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1678768306/
コメント
コメント一覧
球団史から消せ×4
たまには地獄からスワローズのことも見てくださいな
ご冥福をお祈りします
知らない。誰?といっても許してくれるレベルやろ
あの世への犬の輸送代は閻魔様に請求なさいませんよう...
ただちょっと日本での悪評をアメリカの記者にばらされてアメリカで野球続けられなくなり(ドジャースの会長が責任を感じヤクルトにマニエルをくれた)
コカイン所持して捕まり銃の不法所持で捕まり軽犯罪を起こし交通事故を起こしただけや
・・・ヤベェなこいつ
素行不良という負の面があったが
そのお陰でマニエルが来て優勝するんやから
いろんな意味で
ヤクルトの球団史に刻まれる男やったな…
殺し以外はなんでもやったって言ってたしな…
小籔以来の悪やな
いうてこいつの前もロバーツとかジャクソンとか気のいい助っ人多かったけどな
ご冥福は祈りません
ヤクルトにこんな悪徳外人がいたとは知らんかったわ
私の中でのスワローズ害人ワースト3。
彼らに比べたらアイケルバーガーもネタ枠でしかない。
r.i.p.
NPBとMLBの関係が本当にぶっ壊れかけたしね
国際問題に繋がる程のやらかしなんてこいつぐらいでしょ
オンドルセクより李恵践アルメンゴやろ
事実書いたら罵倒になるぺピトーンもおかしいよ
愛嬌も貢献も思い入れもない前科者が亡くなってもそう…以外の感想無いわ
優勝にあんだけ貢献したオンドルセクはいくらその後揉めたからってそこには入れてほしく無いわ
ペピトーン>超えられない壁>その他
日本プロ野球史上でもワーストワン
国際問題になりかけたからな
普通だったら、「知らない。誰?」と思ったら、書き込むより先にググると思う。
むしろ2023年まで良く保ったんだなぁという印象
※荒らし行為・選手叩き・他球団煽りなどは禁止してます
※違反コメントは予告なしに書き込み禁止になる場合があります
※コメント通報や書き込み禁止解除はメッセージフォームからお願いします
※「>>」でレスに返信できるのでコピペして使ってください