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1: 風吹けば名無し 2023/03/14(火) 13:31:46.31 ID:9D/JHjTs0Pi
ヤンキースなどで活躍し、73年にヤクルトでもプレーしたジョー・ペピトーン氏が、13日に死去したとESPNなどが報じた。82歳だった。死因は明らかになっていないが、息子BJによれば心臓発作の可能性があるという。

 ペピトーン氏は62年にヤンキースでデビューし、2年目から主軸として打線をけん引。63年から3年連続でオールスターに選出され、65、66、69年には一塁手のゴールドグラブ賞を獲得した。

 その後アストロズ、カブスを経て73年6月にブレーブスからヤクルトに移籍。しかし離婚問題で7月に一時帰国し、8月に再来日したものの、今度は右アキレスけんを痛め9月に無断帰国。1年目は14試合の出場に終わり、翌年はキャンプに現れず3月に解雇された。

 メジャー通算成績は12年で打率2割5分8厘、1315安打、219本塁打、721打点。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c5a0831d42bd4cd57c02f1bf4506846b8b56204c

3: 風吹けば名無し 2023/03/14(火) 13:33:19.27 ID:xCUUOYk3dPi
一応王長嶋に匹敵するくらいの年俸払ってたやつやっけ?

5: 風吹けば名無し 2023/03/14(火) 13:35:51.27 ID:TSDzpY2Q0Pi
かわりに有能なのが来たから

6: 風吹けば名無し 2023/03/14(火) 13:37:40.50 ID:lkzAfth6aPi
ジョー・ペピトーン
元ヤクルトの外野手。スワローズ(アトムズ)史に燦然と輝く助っ人。
1962年にヤンキース入団。ニューヨーカーで天性のスラッガーであったペピトーンは大きな期待を受け、実際にゴールドグラブ賞を3度獲得するなどファーストとして活躍。しかし1969年限りで解雇され、アストロズなどを渡り歩く。
1973年はブレーブスにいたが6月に来日しヤクルト入り。合流後いきなり勝ち越し打を放つなど期待を持たせるもその月末に「ペピトーン・デー」と銘打って行われたダブルヘッダーの中日戦2試合目を欠場すると早速離婚問題のために無断帰国。再来日したのは8月に入ってからだったが2週間経たないうちにアキレス腱痛で離脱、そのまま9月12日にまたまた無断帰国した。
球団の不手際で2年契約だったため翌年も在籍するはずだったペピトーン。しかし今度は来日しないどころか連絡が取れない状況に。やっと連絡が取れたと思えば料金と犬の空輸料金を要求し出したため球団は任意引退扱いで解雇、のちに本人の都合で自由契約となった。
退団後、ペピトーンはNYタイムズのインタビューで「物価が高い」「言語が通じない」「マンションのドアの高さが131cm」などと日本を盛大にディスるものの当時太平洋クラブライオンズ企画室長のマーティ・キーナートに「あんな奴はアメリカ人の面汚しだ」とキレられる。その後キーナートはタイムズ紙とメジャー全球団に反論文を送りつけるがその甲斐もあってかペピトーンはマイナーですら雇って貰えず引退した。
後にヤクルト球団は(ペピトーンのせいで)日米球界の関係悪化を懸念したドジャース会長にチャーリー・マニエルを譲り受ける。ヤクルトはマニエルの力もあって1978年に初優勝したため長期的に見ればペピトーンの獲得は正解だったのかも知れない。
NPB成績 (ヤクルト・1973) 試14 安7 本1 点2 振7 率.163 出塁率.265 OPS.498

4: 風吹けば名無し 2023/03/14(火) 13:34:04.99 ID:SUOlaJPQaPi
ヤクルトの助っ人起用を成績から人格に変えた男

引用元: ・https://eagle.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1678768306/