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1: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:39:05 ID:bIH
以前立ってた本塁打ランキングスレに触発されて

まずは50位から26位までを一気に見ていくで~

2: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:39:54 ID:bIH
41位 園川一美 50勝 数々の伝説を残し一部でカルト的人気を誇る
42位 三浦大輔 49勝 この頃はまだ野村や斎藤の影に隠れていた
43位 大野豊  48勝 最多セーブ2回、最優秀防御率1回とタフに活躍
44位 伊東昭光 47勝 リリーフでの勝利がやたらに多い勝ち運男
44位 香田勲男 47勝 近鉄移籍後に謎の復活でAS出場を果たす
44位 村田勝喜 47勝 黒い噂、疑惑とネタに事欠かない投手
47位 鹿取義隆 46勝 黄金期西武唯一の弱点であった抑えを埋めた
47位 岩本勉  46勝 90年代後半より日本ハムのエースの座を射止める
47位 ガルベス 46勝 長嶋茂雄を丸刈りにさせた男 飛距離抜群
50位 佐藤義則 45勝 95年当時の史上最年長ノーノー達成の酒仙投手
50位 長冨浩志 45勝 投球スタイルを変え、息の長い投手に
50位 盛田幸妃 45勝 落合が恐れた強気の内角シュート攻め

3: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:41:07 ID:bIH
31位 吉田豊彦 55勝 ダイエー初期の左のエース 徐々に低迷するも…
31位 湯舟敏郎 55勝 ニヤニヤ投法でお馴染み90年代阪神の左腕エース 
31位 グロス  55勝 中4日でも全然平気なタフネス右腕 最多勝2回
34位 川口和久 54勝 昭和末期~平成初頭を代表する快速サウスポー
34位 紀藤真琴 54勝 この人がエースって投手王国広島の終焉を感じたよね
34位 藪恵壹  54勝 悲運の暗黒エース 3度最多敗戦投手になっている
37位 木田優夫 52勝 90年には最多奪三振を記録している画伯
37位 岡林洋一 52勝 92年で燃え尽きた パラグアイ生まれ
37位 黒木知宏 52勝 5年間で、しかもロッテでこれだけ勝ったのは凄い
40位 新谷博  51勝 正直、日本シリーズで大炎上した記憶しかない

4: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:43:04 ID:bIH
26~30位やが25位が2人いるため4名、しかも同数や

27位 赤堀元之 56勝 最優秀救援投手5回はプロ野球タイ記録 92年は最優秀防御率とW受賞
27位 吉井理人 56勝 ストッパーから先発へ転向 ヤクルトでは3年連続二桁勝利
27位 前田幸長 56勝 90年代前半はロッテのエース格 中日では先発・中継ぎをこなしたタフガイ
27位 石井一久 56勝 故障もあり、やや伸び悩んだ感があるが独特の存在感を放った

5: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:44:53 ID:bIH
25位からは1人ずつ見ていくで~

25位タイ 長谷川滋利 57勝 ※渡米後の成績を含めると72勝
1年目から12勝を挙げ新人王を獲得すると、翌年以降もローテを守り「がんばろうKOBE」の優勝に貢献。
英語力も非常に堪能で、英語勉強法の書籍も出版しているほどである。

7: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:46:29 ID:bIH
25位タイ 伊良部秀輝 57勝 ※渡米後の成績を含めると86勝
93年清原との対決で当時の日本記録となる158km/hをマークし、この年から先発に定着。
翌年以降、最多勝1回、最優秀防御率2回など日本を代表する剛腕投手に成長した。

8: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:47:58 ID:bIH
23位タイ 高村祐 58勝
入団1年目の92年にいきなり13勝を挙げ大いに期待を寄せられるもその後は二桁すら届かず。
防御率も4点台後半が多く、野茂渡米後の消去法エースのポジションに収まってしまった。

9: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:49:20 ID:bIH
23位タイ 宮本和知 58勝
「ズムサタおじさん」と侮ることなかれ、90年には14勝を挙げている(翌年も二桁勝利)。
以後も貴重な左腕投手として安定感のある投球を続け白星を積み重ねた。

12: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:53:53 ID:lfg
>>9
宮本の当時の動画残してくれてる人おるけど
くっそ良いまっすぐとカーブ投げててほんま草生える

10: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:51:07 ID:bIH
22位 山崎慎太郎 59勝
モーションの途中で一瞬止まる独特のフォームで打者のタイミングをずらした。
コントロールは良いとは言えず、「ミスターフルカウント」の異名を頂戴する。

11: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:52:32 ID:bIH
21位 斎藤隆 62勝
2年目からローテに定着し、チームと共に絶頂期を迎えた大型右腕。
被本塁打が多い投手としても知られており、2度の30発オーバーを記録している。

13: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:54:33 ID:bIH
20位 石井丈裕 64勝
2年目の90年にに小山コーチからパームを伝授され、投球に緩急がつくようになった。
さらに元々定評のあった高い制球力と長身から投げ込む速球を武器に西武黄金期後半の主力投手となる。
92年は最高勝率、日本シリーズMVP、さらに野茂をかわして沢村賞を獲得するなど最高のシーズンとなった。

14: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:55:52 ID:bIH
19位 渡辺久信 65勝
西武黄金期のエースとして一世を風靡したが、三十の声を聞く頃になると生え際と共に成績も後退してしまう。
96年には優勝したオリックス相手にノーノーを演じるなど意地も見せたが、97年にはついにシーズン0勝に終わる。
同年の日本シリーズ第3戦では同点で迎えた8回に中継ぎ登板するも、古田にあっさり決勝HRを浴びるなんとも寂しいシーンもあった。

16: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:56:30 ID:1Rx
高村・紀藤は超えられそうで超えるのが難しい選手だと思うわ

17: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:57:25 ID:bIH
コメントサンガツやで
どんどん募集や


18位 郭泰源 67勝
「オリエンタル・エクスプレス」の異名を持ち速球派のイメージがあるが90年代には制球重視の大人のピッチングに変化している。
91年には優勝を争った近鉄相手に7勝1敗、防御率0.78という脅威的な強さを見せ、MVPに輝いた。
台湾帰国後は顧問役として台湾球界の発展に貢献、元同僚の渡辺久信、石井丈裕の台湾球界入りもアシストしている。

18: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:58:47 ID:bIH
17位 潮崎哲也 70勝
高津にも影響を与えたといわれる魔球シンカーを武器にプロ入り当初はリリーフエースとして西武黄金期後半を支えた。
97年からは先発に転向し、ここでも結果を残して同年には自己最多の12勝を挙げるなど、東尾西武の連覇にも貢献。
日本シリーズで慣れないセの打者が翻弄される姿は秋の風物詩ともいうべきもので、98年にはマシンガン打線も抑えて勝利投手になっている。

20: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:59:09 ID:lfg
20 19 18位に工藤が居て 裏に石井貴とかが控えてるやばいンゴ黄金西武

22: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)21:59:59 ID:bIH
15位タイ 武田一浩 74勝
現役時代から思ったことを口にする性格で球団や首脳陣とよく対立しており、95年にはそれが原因で上田監督に干されシーズン2登板に終わっている。
91年には最優秀救援投手、98年には最多勝を獲得しているが、この2つを両方獲得した投手は武田を含めて歴代5人しかいない。
99年には明治大学の先輩・星野監督率いる中日に移籍し、9勝を挙げ優勝に貢献している。

24: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:01:15 ID:bIH
15位タイ 西崎幸広 74勝
「トレンディエース」の代表的投手と言っていいであろう甘いマスクと長身、さらに文句なしの実力で日本ハムのエースに君臨していた。
しかし、トレンディの時代が終わり、平成不況の色が濃くなってくると同時に成績も低下していく。
首脳陣との対立もあり98年に西武にトレードされると、皮肉にも古巣・日本ハムの大失速のおかげで初めての優勝を経験する。

25: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:02:25 ID:bIH
14位 西村龍次 75勝
ルーキーイヤーの90年から4年連続二桁勝利を挙げるなど野村ヤクルト前期のエース格として活躍。
その後、近鉄にトレードされるもここでは結果を残せず、98年にテスト入団したダイエーで10勝を挙げ復活、カムバック賞を受賞した。
強気な性格で知られており、グラッデンを激昂させた内角責めに端を発した乱闘騒ぎにより危険球規定が変更されている。

26: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:03:13 ID:bIH
13位 川崎憲次郎 76勝
速球と怖い顔で活躍した本格派右腕、90年代の巨人キラーと言えばこの人になるであろう(対巨人戦歴代9位の29勝)。
この時代のヤクルトの投手に多く言えることだが、実力はありながら故障が多く、まともに投げられていない年が多い。
シュートのイメージが強いが、これを覚えたのは97年頃ということで、翌年の沢村賞獲得に繋がる。

27: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:04:19 ID:bIH
12位 野茂英雄 78勝 ※渡米後の成績を含めると139勝
入団1年目から最多勝・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率と投手四冠を総ナメし、加えて史上唯一の新人王・沢村賞・MVPのトリプル受賞を果たす。
さらに4年連続最多勝・最多奪三振を記録した、まさにレジェンドだが、草魂監督との出会いが彼の運命を大きく変える。
95年にメジャー挑戦のパイオニアとなり、トルネード旋風を巻き起こした(渡米後の61勝を含めると、堂々の90年代トップに躍り出る)。

28: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:05:20 ID:bIH
11位 野田浩司 81勝
野村監督が「お化けフォーク」と恐れた鋭いフォークで暗黒阪神のエース格として活躍するが松永との大型トレードでオリックスに移籍。
新天地で17勝を挙げ、1試合19奪三振の日本記録を樹立する等大きく飛躍し、95・96年のオリックスの連覇にも貢献した。
しかし、右肘の故障で98年以降は勝ち星を挙げられず、この時点でまだ31歳だっただけに大いに悔やまれる。

29: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:06:40 ID:bIH

10位 小宮山悟 87勝
ルーキーイヤーの90年からロッテのエース格として10年間投げ続け、二桁勝利5回(しかし、二桁敗戦はそれを上回る6回)。
「投げる精密機械」と呼ばれ技巧派のイメージが強いがプロ入り当初は力で押す投球であり、与四球数も特段少ない訳ではない。
チームが千葉マリンに移転後は風除けのためサングラスを着用、96年にはメガネベストドレッサー賞を受賞している。
90年代で最も多くのイニングを投げた投手であるのだが、この順位に留まってしまったのは当時のロッテの悲哀である。

30: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:07:25 ID:lfg
18連敗の小宮山から始まって小宮山で終わるのすこ

31: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:08:12 ID:bIH
9位 今中慎二 90勝
2年目の90年から一軍に定着し、93年には最多勝・最多奪三振の二冠に輝き、さらに基準7項目すべてを満たして沢村賞を獲得した。
球界を代表する左投手に上り詰めるが、94年夏頃から左肩の状態が徐々に悪化していったという。
その後も二桁勝利を続けたが97年キャンプ前の故障が決定打となり、97・98年は共に2勝に終わってしまう。
99年はプロ入り初の0勝に終わるがチームは優勝、胴上げ帯同を許されたがこれを拒否、夜釣りに興じていたというのはなんとも彼らしいエピソードである。

32: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:09:25 ID:bIH
7位タイ 佐々岡真司 91勝
1年目の90年から先発・抑えと活躍し13勝・17Sを挙げると翌91年は最多勝・最優秀防御率の二冠で優勝に貢献、MVPにも輝いた。
しかし4年目の93年に17敗を喫し(防御率は4.33とそんなに悪くない)、チームも19年ぶりの最下位に落ちる。
その後広島は慢性的な投手のコマ不足に悩まされ、佐々岡も先発に抑えにと、たらい回しにされてしまう。
99年、久しぶりに先発に固定されると新球種シュートが活き15勝を挙げ復活、リーグトップの13完投・5完封の大活躍だった。

33: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:10:34 ID:bIH
7位タイ 野村弘樹 91勝
3年目の90年に初の二桁勝利を挙げてASにも出場して以降、90年代の大洋・横浜のエースとして活躍した。
球速は全盛期でも145km/h弱で、絶対的な決め球を持っていたわけでもないのだが制球力と多彩な変化球を駆使した投球術で勝ち星を積み重ねた。
決して強いとは言えないチームでほぼ毎年貯金を作っていたのは驚くべきことで、98年日本シリーズでは栄えある開幕投手に抜擢されている。
また打撃も非常に良いことで知られ、野村監督は「打者・野村」対策のミーティングを行っていたというほどで、この事も多くの勝ち星に繋がったのかもしれない。

34: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:12:00 ID:bIH
6位 槙原寛己 94勝
なにかとネタ要素が多く、さらに三本柱の三番手という向きが強いため、珍しく巨人だから過小評価されているという選手なのかもしれない。
94年の日本シリーズでは完封含む2勝0敗・防御率0.50というシリーズMVPに輝く活躍で巨人の西武アレルギーを払拭した。
絶好調の年に限って故障したり、打線の援護に恵まれなかったりと巡り合わせの悪さもあるのだが、やはり凄い投手なのである。
「最後の完全試合投手」から「平成唯一の完全試合投手」になる日のカウントダウンも始まっている。

35: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:13:11 ID:bIH
5位 桑田真澄 99勝
入団時の経緯や登板日漏えい事件、さらに「投げる不動産屋」、「連勝ストッパー」と揶揄されるなど、なにかとダーティなイメージが強かった若き日の桑田。
それでも94年の獅子奮迅の活躍、故障からの復帰戦でのプレートに右肘をつけたパフォーマンス等によりファンからも文句なしに認められる存在になっていった。
そしてその後は野球に取り組むストイックな姿勢から投手の鑑、理想の投手像として崇められていくのであった。
約2年間を棒に振り、手術以降は以前のようなパワーピッチは影を潜めたにも関わらずこれだけの勝ち星を挙げたのであるから、やはり90年代を代表する投手のひとりである。

36: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:14:36 ID:bIH
4位 山本昌広 109勝
7年目25歳の90年、初の二桁勝利を挙げると今中と共に90年代中日のダブルエースとしての立場を確立する。
93年には最多勝・最優秀防御率に輝き、翌94年も19勝で二年連続最多勝と初の沢村賞を受賞した。
95年、長年の勤続疲労から左肘、左膝を痛め二ヶ月弱戦列を離れたがこの時、後に本業となるラジコンに出会っている。
97年には今中の離脱により、初の開幕投手を任されると、最下位に沈んだチームで一人気を吐き、3度目の最多勝と初の最多奪三振を獲得した。

39: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:15:52 ID:bIH
3位 工藤公康 111勝
89年オフに結婚した工藤は今までの不摂生な生活を改め、徹底した肉体管理を行うようになると、91年には自己最高の16勝を挙げる。
93年には防御率2.06で最優秀防御率と最高勝率を獲得し自身初のMVPにも輝くと、90年代後半はダイエーに活躍の場を移す。
長く低迷が続いていたダイエーでエースとして存在感を示すと共に、城島を日本を代表する捕手に育て上げていったエピソードは有名である。
そして99年、4度目となる最優秀防御率と2度目の最多奪三振のタイトルを獲得、ホークスとしては26年ぶりの優勝に導き2度目のMVPに輝いた。

40: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:17:22 ID:bIH
2位 星野伸之 118勝
身長183cm・体重70kg前後というおおよそプロ野球選手と思えない細身の体から最速130km/hそこそこの速球、スローカーブ、フォークの3球種で勝負した芸術的投手と言っても過言ではない。
90年には星野のすっぽ抜けたカーブを中嶋捕手が素手で取るという珍事件も起こっており、中嶋は星野を超える球速で返球したと言われている。
10年間大きな離脱なくオリックスのエースとして投げ続け二桁勝利実に9回、97年までは11年連続2桁勝利を挙げるなど安定して白星を積み重ねた。
40km/h以上のスローカーブとの緩急差により打者には速球が数字以上に速く見えたと言われ、清原・中村・ローズら多くの強打者から星野のストレートは速かったという証言が残っている。

42: 名無しさん@おーぷん 2019/02/23(土)22:18:44 ID:bIH

1位 斎藤雅樹 126勝
1位はやはりこの人「平成の大エース」、90年に2年連続20勝で最多勝に輝くなど4度最多勝を獲得し(通算では5度)、3年連続開幕戦完封、歴代最多の3度の沢村賞受賞など記録は枚挙に暇がない。
「マッスラ」と呼ばれる高速スライダーと「ブレーキングカーブ」と称されるシンカーを駆使、さらに利き腕方向にねじ切れるように変化する150km/h弱のストレートを持っているのだから手がつけられない。
おまけに10年間で5度リーグ最多完封に輝く(通算では7度)などスタミナも申し分無く、フィールディングや打撃も良く、また人格面でも悪く言う人がいないというまさに文句の付けようがない。
斎藤が投げているとチャンネルを変える、巨人ファン以外には半ば常識のように言われていた90年代プロ野球の格言である。

引用元: ・http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1550925545/